一年前の今日(3/8)、父が他界した。享年83歳。当日朝母から電話があり、「病院の先生がお話ししたいので来て欲しい」と言われ、一週間前にお見舞いに行った際はそこそこ元気だったが、桜が咲く季節までは頑張って欲しいなと思い、家族揃って病院行くことにしたが差し迫った緊急性を感じなかったので、昼過ぎに出かけた。
自宅から父の入院する病院までは電車とバスを乗り継いで一時間半かかり、病院の入り口に着いたところで母から電話があり「今息を引き取った」とのこと。
慌てて病室に行くも、時すでに遅し。苦しそうに酸素マスクをしなが自分を来るのを待ちかねていたようにうっしら目を開けていたが、間に合わず。。。ただ、まだ手には温かみがあり悲しい別れとなってしまった。
あれから一年、いまだにあの手の温かみと酸素マスクをつけて苦しそうな顔が脳裏に焼きついていて、昨日のように覚えている。
そして今日は一周忌を行うため、実家には前日に行き、母と甥(姉の長男)と夕飯を共にし、夜母が寝床に着いたところで遺影に向かって父と杯を交わす。父は豆な性格で、少なくとも20年はシステム手帳にその日の出来事を記載していた。そしてその手帳を肴に酒を飲み始める。
手帳は2000年からあり、パチンコで勝った金額や、病院に行ったなど記載されていた。また、自分が結婚するための報告や、結婚式、孫が生まれたや孫との初対面とかの記載があり、思わず涙が自然と目から溢れ出す。
昨年2/25から肺炎のため入院しており、3/1に息子と病院にお見舞いに行ったが、その日の出来事(自分と息子が来た)もしっかり手帳に記載してあったが、それが手帳に書き込む最後の出来事となった。震える手で書いたのか、字が乱れながらも自分と息子の名前が刻み込まれており、もう涙が止まらない状態に。

そして、今日は一周忌。コロナ禍の影響のため実家にて知り合いのお坊さんに供養をお願いし、リモートにて法要を行う。参加は母、甥と姉のみ。姉は普段イタリア・ミラノに住んでいるが、昨年父が亡くなってすぐに日本に帰国するも、その後イタリアに帰れなくなったが、今年一月上旬に無事イタリアに戻れ、本日はリモートで参加。
人数は少なかったが、家族から見守れながら無事法要ができたことに、父は天国にてきっと喜んでいたのではないだろう。
コメント